当アーカイブズより、特色ある資料をピックアップして紹介します
☆『行巻顕考記』 木山至善写
『顕考記』は僧鎔著『教行信証一渧録』の別名。『教行信証一渧録』の「行巻」の部分を善定寺木山至善が書写したもの。
僧鎔(1723〜1783)は越中国新川郡浦山村の本願寺派善巧寺住職。字は子練といい空華廬又は雪山と号した。僧樸の門に入り宗学を研究、後に空華学舎を設けて学生を養育すること多年に及び、研究を重ね宗学において大発展をなし空華学派を開くに至った。(kr.1221)
☆『浄信院道隠大和上法話』 豊前高田於光林寺都合六席
浄信院道隠の豊前高田光林寺における法話を筆録したもの。
道隠(1741〜1813)は豊前国福嶋の本願寺派長久寺住職。諱は諦忍、字は道隠。僧樸の門に入り真宗に帰依、僧樸没後その高弟僧鎔に師事して宗学を研鑽。三業惑乱では安芸の大瀛とともにその解決に力を尽くした。門人堺の性海にいたり自ら一派をなし堺空華と呼ばれ、これに対し柔遠門下を越中空華と称するに至った。(kr.1000)
☆『新刻浄土論随釈』 月珠 豊後州国東郡臼野光徳寺蔵
七高僧の第二祖天親の『無量寿経優婆提舎願生偈(浄土論)』を月珠が註釈したもの。
月珠(1795〜1856)は豊前国今津の本願寺派浄光寺住職。諱は円鏡、後に覚了と改め不可得と号した。初め道隠に従って宗学を修め、道隠没後は父円然について専心研究し蘊奥を極めた。月珠は崇郭の学系を承けたが晩年諸家を折衷して創見を出すこと多く、殊に行信の説に至っては深励、石泉、宝雲、南渓等の諸説を参考にし終に一学派を形成するに至った。これを豊前学派と呼ぶ。(kr.25, 760)
『正信偈三思録』 上下 東陽円月
親鸞の『教行信証』「行巻」末にある「正信偈」の註釈書である。
東陽円月(1818〜1902)は豊前国宇佐郡水先の本願寺派西光寺の住職。月珠に師事して宗学を研鑽し、晩年自坊にて東陽学寮を開き、後進の教育と著述に専念した。その宗学は月珠の説を継承し発揮するところ大であった。(kr.120, 275)
『大経大本願文聴記』 勧学善譲説
松島善譲による『大経』本願文の講義録である。
『大経』は『仏説無量寿経』のことであり、浄土三部経の一つである。『大経』には阿弥陀仏の本願(四十八願)が説かれ、特に第十八願が中心であり重要である。親鸞はこの第十八願を本願と呼び、他の願と区別した。
松島善譲(1806〜1886)は豊前国下毛郡蛎瀬村の本願寺派照雲寺住職。性海に師事して宗学を修める。その後、自坊に帰り私塾信昌閣を開設し50年にわたって宗学を教授した。空華学派の大成者とされる。(kr.117)